寝殿造をご存知ですか?
2025.01.07 (Tue) 更新
長野県長野市、上田市、佐久市のみなさん、こんにちは!
みなさま新年あけましておめでとうございます。
2025年になりましたね。
今年は清少納言が亡くなってからちょうど1000年だそうです。
清少納言といえば『源氏物語』が有名です。
源氏物語は平安時代の書物であり、宮殿の描写が多く登場しますが、当時の代表的な建築様式は『寝殿造』と呼ばれる建築様式です。
ということで今回は清少納言が生きた約1000年前に遡り、当時の住まいと現代の住まいを比較する
平安時代探訪回です。お楽しみください!!
①寝殿造の特徴
※刀剣ワールドホームページより
寝殿造とは貴族階級が邸宅として使用した建築様式です。
寝殿造は、その名の通り中心に主人が暮らす寝殿を配置し、その周囲(東・西・北)に家族が暮らす「対の屋」を置き、「渡殿」という渡り廊下でつないでいました。
庭には池や木々が植えられ、様々な趣向が凝らされていました。
また、建物内にはほとんど壁がないのが特徴的です。
外との境に関しても普段は開放的で、荒天時や夜間には蔀(シトミ)で仕切られます。
この開放性は、屋外で行われる儀礼を見るのにうってつけです。
外と内の境界をあえて区切らないところが寝殿造の大きな特徴です。
弊社トラストに2024年6月に完成した佐久平ショールームはこの系譜を受け継ぎ(?)
壁がほとんどない開放的な空間を実現しています。
ぜひ一度お立ち寄りください。
②寝殿造と現代の建物とのつながり
平安時代に一世を風靡した寝殿造りですが、今となっては想像上の建物でしかありません。
しかし、現代にも確実にその系譜は受け継がれています。
その代表的な箇所として
❶障子や襖(ふすま)の原型
❷庇(ひさし)の誕生
があげられます。
❶障子や襖(ふすま)の原型
寝殿造での障子は、今の障子ではなく襖(ふすま)を指します。
現代の障子の源流は、12世紀(平清盛の時代)に明障子と呼ばれる記載があり、明かりを取りながらスペースを区切る障子が誕生したとの諸説があります。
現在の形で、障子や襖が一般的に使われるようになったのは江戸時代以降とされています。
ちなみに、障子や襖は弊社トラストでも取り扱うことができますのでご相談ください。
❷庇の誕生
寝殿造りの庇とは母屋の周囲に設けられた屋根とその下の屋根を指します。
また、庇の周囲に孫庇という多くの庇が設けられていました。
現代の庇は鉄製の場合が多く塗装でメンテナンスしています。我々トラストの得意分野です。
③まとめ
このような形で、着実に歴史は受け継がれています。
寝殿造のメンテナンスに関する書物は残念ながら残っていません。
しかし、木製ですので相当な修繕や改装が施されていたと推測できます。
現代では、塗装をはじめ、傷む前に様々なメンテナンスが可能です。
お家のメンテナンスに関するご相談は私たちトラストへ是非ご相談ください~
トラストは外壁塗装・屋根塗装・雨漏り専門店です。
長野県北信・東信地域密着で多くの信頼と実績を積み重ねてきた塗装のプロフェッショナル集団です。
地域密着だからこそ実現できる適正価格で高品質な塗装をご提供いたします。
これまで積み重ねてきた信頼と実績に恥じぬよう、誠心誠意対応させていただきます。
★トラストは長野市、上田市、佐久市で気軽に相談ができる《外壁・屋根塗装ショールーム》を展開しております★
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ブログ執筆者
株式会社トラスト 営業部
宅間聖将
所有資格:
- 外装劣化診断士