塗装の歴史①
2024.07.21 (Sun) 更新
長野県長野市、上田市、佐久市のみなさん、こんにちは!
こんにちは!相変わらず、時がたつのは早いですね。
7月も半ばです。四捨五入するともう今年も終わりですが、今回はそんな”時間”にスポットを当ててみましょう。
塗装においても、年月・時間は重要でよく目にする項目です。
よく目にするものでいうと「期待耐候年数」や「工事期間」など様々な項目に時間が絡んでいます。
私たち塗装屋はお客様のお家の”未来”を考えご提案・施工する仕事です。
しかし、たまには”過去”について語ってもいいのではないでしょうか。
というわけで、今回は
過去を知ることで今ある環境の有難みを再認識するコーナー
となっております。
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塗装の起源
塗料の始まりは紀元前7000年ごろと言われています。(現在より9000年前)
例) 北海道「垣の島B遺跡」から出土
出土品に『漆』が塗られていました。
漆は光沢を放ち、黒漆と赤漆で塗られたお椀が出土しています。
紀元前5000年ごろ
例) 石川県七尾市 三引遺跡から出土
漆塗りの竪櫛や矢じり・矢柄にも漆が使われていました。
記録として最古のものは2400年前、考安天皇時代
三見宿弥という人が宮中に漆塗りの器を献上したという記録が残っています。
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塗料の進化
景初2年(卑弥呼の時代)
中国からの贈り物に『鉛丹』が含まれていました。
鉛丹とは、鉛を主成分とする赤色の無機顔料です。
さらに、魏志倭人伝には「男性が体に入れ墨をし、身分を区別していた。」
と記されていました。色が「赤2色・青2色・黄色1色」を使い分けていたそうです。
飛鳥時代 推古天皇のころ
『丹塗り』という技法が施されます。
例) 法隆寺 堂塔木部 など寺院建築に多い。
丹塗りの丹とは、「鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて精製したもの」だそうです。
建物を彩ることで魔除けや神性を表す視覚的な意味を持つそうです。
また、朱や丹は金属由来のため、虫害や腐食から建物を守るという意味合いもありました。
現代と材料が違うだけで、だんだん意味合いも似てきましたね。
その他、渋柿の柿渋を使った渋塗りという技法も、この時期から始まりました。
奈良・平安時代
寺社建築に様々な土壌顔料が用いられました。
顔料の種類も増え、より多くの色が現れてきます。
例) 奈良 東大寺大仏
『緑青』が用いられました。
この頃になると緑青色を美術的にも取り入れていました。
銅板の表面に膜を作り、腐食を抑える効果も発揮していたそうです。
その他、膠(にかわ)などを利用した塗料なども多く使われるようになっていきました。
おなかがいっぱいなので、今回はこのあたりで終了とします。
次回以降はいつになるかは、発信者の気まぐれです。
気長にお待ちください。ありがとうございました。
トラストは外壁塗装・屋根塗装・雨漏り専門店です。
長野県北信・東信地域密着で多くの信頼と実績を積み重ねてきた塗装のプロフェッショナル集団です。
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