「モルタル壁の歴史」|長野市、上田市 外壁塗装・屋根塗装専門店トラスト
長野県長野市、上田市のみなさん、こんにちは!
今回は、「モルタル壁」ができるまでの外壁の歴史についてお話ししようと思います。
築20年以上のお家でよく見かけるモルタル壁の始まりは、大正時代です。
今から1300年前、奈良・平安時代では、土を壁に塗る土壁工法が主流でした。
土壁とは、土と藁や砂をお水で練り混ぜたものを塗った壁です。
この土壁のいい所は、防火性があり、補修がすぐできるという点です。
日本の高温多湿な気候にも順応し、風合いも評価されています。
近年土壁が再注目されるくらい、長きにわたって日本人の生活にかかわっています。
土壁の補修には漆喰を用います。漆喰は二酸化炭素と結合し、
強く固まる性質があるため、土壁の補修材として使われてきました。
漆喰は土壁と同様に調湿性に優れていて、綺麗な白色と質感も兼ね備えています。
しかし土壁のようにぼろぼろ崩れることがないので、
土壁の仕上げ材としても使われるようになりました。
令和の時代まで漆喰壁の土蔵などを見ることができる理由です。
この漆喰工法が主流になったのが江戸時代と言われ、左官職人の技術に注目された時期でもあります。
明治に入り、日本の近代化が進むにつれて、洋風建築が流行り始めます。
その際のれんが積みに使ったのが、セメント系材料だと言われていますが、
今ではホームセンターなどでも変えてしまうセメント系材料も
日本で初めて建築に使用された当時は高価だったため、
国が設営する建物や、上層階級の住宅でしか使われませんでした。
そのため、洋風建築がお金持ちの象徴になっていました。
セメント系材料が採用された大きな理由として、近代化ともう一つ、
不燃性という点があります。それまで土や藁や木を使った建物で、
火事がとにかく多かったそう。そこでセメント系材料の不燃性が認められたようです。
また、江戸時代にも左官職人の技術発達が大いに進みましたが、
明治の時代も負けてはいません。西洋風の装飾をまねるために、
モルタル/コンクリート/石膏など様々な材料を使用していました。
それぞれの材料に合った加工方法が必要なため、より高度な
技術が必要だったそうです。
時代は大正に代わり、震災による大火事をきっかけに都市部でモルタル壁が普及し始めます。
れんが積みの建物だけではなく、木造建築にもモルタル壁が採用されていきました。
第一次・二次世界大戦後、空襲で焼け野原になった街を見ては、
住宅の防火性能がいかに大切か、その認識は広く浸透していくようになりました。
戦争が終わって、日本は順調に復興・発展していきます。
法律や、規格が定まると、モルタル壁は一気に全国普及していきました。
モルタル壁ができるまでの外壁の歴史は以上になります。
今の時代でも採用され、耐久性を見込まれ、メンテナンスの方法も確立している
モルタル壁がまさかお金持ちの証になっていたなんて不思議な気持ちになります。
鉄板屋根と同様、やはり歴史は長く面白いですね。
またちょっと気になる屋根材・壁材の歴史をお話ししようと思います。
トラストは外壁塗装・屋根塗装・雨漏り専門店です。
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